小学生に学ぶ。《なぜ昔ほどゲームに熱中できなくなったのか?》
先日、借りてたDVDを返しに近所のゲオに行った。
レジに直行すると、小学4年生位の男の子が会計をしている様子。店員の手元には『街へいこうよ どうぶつの森(ソフト単体)』。
このとき、位置関係で見えなかったのだが、男の子がカウンターにお金を出すのに妙に手間取っている。そんな男の子を見つつ店員も何やら困惑している様子。
待たされるのが嫌いなオイラ。楽しみを待つならいいが、物を返すだけでこうも待たされるとはタイミングが悪いなと自分を呪いつつ待つ。
「少年よ、ゲーム買うのは大変結構だが、お金は事前に用意しておきなさい。足りないのに気付いたなら大人しく謝って家にダッシュだ。社会は厳しいものだ。だが心配無用。どうぶつの森の消化率は50%程度と聞く。明日来たって間に合うぞ」などとテキトーに思いつつ待つ。
しかし、少年は手でポケットを探っては出しを繰り返し、何かカウンター上で手を動かしている。どうせ金が足りなかったんだろうと決め付け、「少年よ、大人しく足りないのを認めてそこをどきなさい。若しくは他の店員が来て『お待ちのお客様どうぞ』とか言え」になってきた。
「しかし、一体いくら足りなさそうなんだね」と、体を逸らして見えなかったカウンターを覗き込んだ瞬間、ドッと涙腺にきてしまった。そこには大量の10円玉と100円玉。数枚だけ500円玉も見えた。考えるまでもない。懸命に貯めてきた小遣いだろう。
思えば、いつからゲームを買う為にコツコツお金を貯める事が無くなっただろう?
思えば、いつからゲームを買う為に何かを懸命に我慢する事が無くなっただろう?
思えば、いつから「一つしか買えない。当分買えない。これが面白いか?いや、こっちがいいか?」と本気で悩まなくなっただろう?
なにより、いつから「ゲームが買えた!」という喜びを感じなくなっただろう?
昔は、ゲームを買ったことそのものが思い出になっていなかったか?その思い出によって楽しさが倍増していたんじゃないか?昔ほどゲームに熱中しなくなったのは、最近のゲームは云々ではないんじゃないか?
オイラは、ゲームの入った袋を片手に、誰が見てもウキウキしながら早足で帰っていったあの少年に心から拍手を送る。
今回の出来事が「なぜゲームに熱中できなくなったのか」の答えとは言えない。ただ、大きなヒントになっていると信じたい。
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コメント
あーこれは分かります。
いつからだろう・・・積みゲーなんてものの存在を認識しだしたのは・・・
投稿: 鮭 | 2008年11月28日 (金) 22:13
何か考えさせられますね。胸に響きました。
投稿: | 2008年11月28日 (金) 23:00
最高の料理は事前の絶食
投稿: げろこ | 2008年11月29日 (土) 00:30
昔は選び抜いた1本1本を宝物のように大切にして、心から楽しんでいたんですよね…。
大切な何かを忘れてしまっていたことに気づかされました。
投稿: oco | 2008年11月29日 (土) 01:14
子供の頃、お年玉を大事に取っておいてスーパーファミコンを買ったのを思い出しました。
買ったソフトがつまらなくても他のなんて買えないから、自分なりの楽しみ方を見つけようと努力していた気がします。
あの頃の気持ちを取り戻したい…
投稿: ぽむ | 2008年11月29日 (土) 17:33
>鮭さん
昔は買ってきたゲームを遊ばないなんて基本的に有り得ませんでした。かといって「クリアすれば昔と同じ」というのでもないですしね…
> さん
自分も見ただけで響きました。まだ響いていたり…
>げろこさん
そうですね。そういうことなんだと思います。
我慢と楽しさも比例するのかもしれません。
>ocoさん
今じゃ一本一本の価値が下がってしまった。いや、下げてしまったんですね。浮気気味というか。
100%集中してないのですから、100%楽しめるワケもないですし。
>ぽむさん
自分は同じような経験をN64でしました。それもあって、尋常でない思い入れがあり、一番楽しんできたハードです。
自分も戻りたいです…
戻る為にどうすればいいか。これは超難題です。
投稿: ヨッシー | 2008年11月30日 (日) 18:12