日記:新聞読んで初めて涙が出てきたよ
2月21日の産経新聞にて。
光市母子殺害事件を大きく報じている。一面のトップニュースで伝え、更に丸1頁以上を当てている。
「人の命について重く考えているということを示すことが死刑だと思う」
尋常でない、察するに余りある苦労と苦悩と経緯が読み取れる。
「目には目をでは、世界が盲目になるだけだ」
ガンジーの言葉。
一人の命を奪う事は、何人もの人生に永遠の悲しみと苦しみを押し付けること。
こんな事をした人間が、数年後に平凡な幸せを手に入れられる状態になるなど許されることなのか?
目には目をでよいと思う。
永遠の幸せを奪った者は、永遠に幸せを奪われるべきだ。
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コメント
その通り。
人間は同じ状況に置かれて初めて理解する愚かな生物である。
世の中は人語を喋れない動物達と危ないこととは無関係な女性達に余りにも冷たすぎる。
今の司法ではどちらが加害者か被害者か解らない状態で、法廷では罪だけで罰がない。
理不尽だらけの世の中に、誰か正義をください。
投稿: マーシー | 2012年2月23日 (木) 00:28
私は確定した死を前した時間こそが、「死刑」と考えます。つまり今ですね。
死んだ先に何があるのかなんて、わかりませんから、できれば生きている間に償って欲しいのです。
人間いつかは死ぬのですから、「人間」が罪人の死期を決める刑は必要です。
罪人は同じ事を被害者にしたのですから。
そして執行された後の業を背負って生きていくのが死刑のある国の民の義務ではないでしょうか。
それは民度にも大きく関係していくと思います。
投稿: neji | 2012年2月23日 (木) 03:28
大きな罪を犯し、人生を生き、人並みの幸せを手に入れる事は、
あってはならないですし絶対に許されないです。
だって社会に殺されているのですから。
それって死ぬ以上の地獄だと自分は思います。
だからその地獄の中で罪を償う必要もあるんじゃないかって・・・・・・勝手ですよね。
それじゃ被害者は苦しむ一方ですよね、ごめんなさい。
投稿: Mr.ネコソバ | 2012年2月23日 (木) 16:27