ボヤキ:桜宮高校の体罰問題について思ったこと
要点として、報道を見る限り、教師が悪い。生徒は悪くない。と思う。
殴る事そのものは否定しない。
暴れて授業を妨害するとか、暴力で金品を奪ったとか、殴らなきゃわからんだろって奴はいる。体罰ってのは、力で罰するってことよ。
今回の事件は、被害者に殴られる理由はないと思うわけ。悪いことしてないもん。みんな真面目にやってるとき、何回注意してもフザけて部活を妨害し、他人の努力を邪魔したなら殴られても仕方ない。悪いことしたら罰せられる。
そもそも教師の仕事は生徒を教育すること。
部活やその結果は教育手段であって、その過程にこそ本質がある。上の者が下の者に教えるとき、こう伝えれば相手はこう思うだろうと常に考え、見極めて行動する責任がある。今回の教師は、これを誤った。教師または学校という組織の失敗。大人数を見極めるのは困難だったろうという意見には一理あるが、少なくとも根性が無かった生徒が悪いという意見には到底賛同できない。生徒に悪い点がない。
社会人となり就職しても、会社で役に立たなければ切り捨てられる。それは、労働者が提供する労働と、会社が支払う対価がバランスしてないから。
今回の事件は学校という教育現場で起こった事で、労働と対価で構成される会社とは違う。生徒が受けるべきは教育であり、生徒が学校に提供すべきは部活の結果?それを提供できなかったから罰せられた?色々と違うでしょう。
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コメント
時代遅れな指導が早くなくなると良いですね。
投稿: りー | 2013年1月26日 (土) 22:20
あれはただの圧力による強制だと私は感じます。
尚更、生徒を責めるのは間違ってますよ。
これは学ぶ生徒ではなく、教える教育者側の責任です。
投稿: Mr.ネコソバ | 2013年1月27日 (日) 23:46
「桜ノ宮体罰介入問題」の顚末は「統廃合の小五の自殺」である。
投稿: 番組 | 2013年5月27日 (月) 14:30
まず、「統廃合の小五の自殺」の家に行き、土下座すべきである。それをしないなら一切ものを言うなと言いたい。
投稿: ・ | 2013年7月17日 (水) 13:31
「桜の宮体罰OR自殺問題」より「桜の宮自殺扇動教育破壊違法介入・統廃合の小五の自殺事件」の方がはるかに蓋然性が高い。なのに、検察はおよそ犯罪ともいえない立証できるとも思えない前者を起訴した。片や断定できる「小沢裁判関係」の田代検事を立証できないと不起訴にしたのである。
投稿: ・ | 2013年8月23日 (金) 11:13
そもそも部活の体罰で自殺するだろうか。
投稿: ・ | 2013年9月 2日 (月) 12:57
部活は非日常である。
投稿: ・ | 2013年9月 3日 (火) 14:59
部活は非日常である。ある意味、戦場である。
投稿: ・ | 2013年9月 4日 (水) 11:26
部活の体罰で自殺したら自殺した方が悪い。自殺された方が被害者である。それを、大阪地検は顧問を起訴したのである。顧問を救わねばならない。クロもシロもわからないのである。大阪地検は解体した方がいい。
そして、加害者的側面がある両親が、今や完全に被害者の側にたち、「詰問」してるのである。
「桜の宮自殺扇動教育破壊違法介入事件」とこの起訴は二重のでっちあげである。
投稿: ・ | 2013年9月19日 (木) 14:14
部活の体罰で自殺するほど、自殺した生徒は馬鹿ではない。体罰で自殺したは自殺した生徒に対する冒涜である。
投稿: ・ | 2013年10月21日 (月) 14:33
どんなに「壮絶」な体罰でも、部活の体罰で自殺するという事はない。
投稿: ・ | 2013年10月24日 (木) 15:16
「壮絶」についていえば、一つは「桜の宮自殺扇動教育破壊違法介入事件」で、自殺利用で介入したがために、体罰が自殺の原因と当然視された事と、いわば、「殺人空間・犯罪空間」に仕立てあげ、「殺人者」にしたためである。
もう一つは、部活とは
投稿: ・ | 2013年10月25日 (金) 13:29
部活とは非日常で、ある意味戦場である。それを日常から部活の経験のない者が、あってもトップをめざした事のない者がない者がみてものを言ってるのである。
もう一つは、写真
投稿: | 2013年10月28日 (月) 13:51
写真やフィルムは客観的であるようで客観的でない。とりかた、見方でどうにでもなるし、どうにでもみれる。
もう一つは、競技
投稿: ・ | 2013年10月29日 (火) 13:56
柔道、ラグビー、バレー、バスケットでは体罰に対する抵抗感は違うだろう。柔道、ラグビーは競技そのものが「体罰」のようなものだろう。ボクシング部で、体罰に殴られても「体罰」と感じるかどうか。バレーとバスケットでも違う。バスケットの方があるだろう。テニスはもっとあるだろう。抵抗感はあっただろう。
遺書に
投稿: ・ | 2013年11月 1日 (金) 13:51
抵抗があったから遺書に書いたのだろう。遺書に書いたから原因とは限らない。
「原因」「理由」
投稿: ・ | 2013年11月 8日 (金) 14:20
遺書に書いてあっても、「原因」「理由」「口実」でもないだろう。
全文、事情聴取
投稿: ・ | 2013年11月12日 (火) 15:37
遺書は全文公表されているのか。
母親は事情聴取されてるのか。5年間くらいは聞かなくてはならないだろう。
いじめと
投稿: ・ | 2013年11月18日 (月) 15:06
母親には、生い立ちから事情聴取すべきだろう。
「いじめ」
いじめとは悪意がある。学校外まで及ぶ。日常であり、リアルの世界である。承知・同意してない。
投稿: | 2013年11月20日 (水) 14:37
「生活指導の体罰」
生活指導の体罰とは、悪意がない。学校内である。日常である。承知・同意してない。
投稿: ・ | 2013年11月21日 (木) 13:32
いじめ、かっこわるい
投稿: ・ | 2013年11月28日 (木) 10:22
「部活の体罰」
部活の体罰は悪意がない。非日常である。部活外に及ばない。承知してるのではと思うが、同意はわからない。同意してる者もいるかもしれない。
投稿: ・ | 2013年11月29日 (金) 11:48
体罰はいけないが、その中では部活の体罰は、生活指導の体罰、いじめよりはいい。体罰は物理力なのである。悪意のない物理力なのである。体罰と暴行の違いは悪意があるかないかである。体罰の程度の問題である。物理力では自殺しない。
部活とは
投稿: | 2013年11月30日 (土) 13:44
やられたらやり返す。基本だよ。
投稿: ・ | 2013年12月 3日 (火) 12:11
部活とは、非日常で、ある意味、戦場であり、もっといえば虚構で、ウソの世界である。
極端にいえば、「桜の宮演劇部」が芝居の中で、芝居で叩いてるようなものである。
戦場で叩かれても違和感はないだろう。感謝されるかもしれない。
戦場でも慰安所はいけない。
部活でも体罰はいけない。
体罰とは悪意のない物理力であり、いじめの暴力は悪意のある物理力である。
いわば、物理力である。
投稿: ・ | 2013年12月 9日 (月) 13:53
ヨッシー生きてる?生存報告マダ?
投稿: 平等院鳳凰堂 | 2013年12月27日 (金) 11:37
なぜ、キャップテンをやめられなかったのかである。
投稿: ・ | 2013年12月27日 (金) 13:19
今年最後だが、更新なし、か・・・
さすがに最後ぁ毎年のように書いてる一年振り返り記事でも書くのか思うたが。
ここの記事のコメント連投氏によって最近のコメントのところがとんでもないことになってるし
投稿: ドフラミンキーテドゴン | 2013年12月31日 (火) 17:02
キャップテンなるが故の「理不尽」な体罰よりも、なぜ、桜の宮のキャップテンをやめれなかったのかの方が重要である。
投稿: | 2014年1月 8日 (水) 14:58
中国と韓国は目の上のたん瘤
投稿: | 2014年1月10日 (金) 11:28
民事の証明でいえば、自殺した事は主要事実、キャップテンをやめれなかったのは間接事実、体罰は補助事実にもならないくらいではないか。
刑事ではどうか。
投稿: ・ | 2014年1月14日 (火) 15:35
「大津いじめ事件」より「桜の宮問題」の方が悪くない。
なのに、あれほど大騒ぎになったのか。
投稿: ・ | 2014年1月21日 (火) 14:30
本人はキャップテンをやめたいといったらしい。顧問も同じだったろう。キャップテンをやめてれば自殺はなかったのである。なぜ、やめれなかったかである。顧問ではないという事である。母親である。
体罰ではない。なぜ、キャップテンをやめれなかったかである。本人はやめたいといい、顧問も同じで、なぜやめられなかったのかである。母親でキャップテンをやめれなかったのである。自殺の原因は母親の存在と関係があつのである。
であるのに、なぜ、体罰が自殺の原因のようになったかである。「単なる馬鹿」が自殺扇動で教育破壊目的に大事にして介入してきたからである。
その結果、隣の自治体の「統廃合の小5」が自殺したのである。大阪市長選などにでる資格などないのである。とうの昔に失脚なのである。
投稿: | 2014年2月20日 (木) 14:35