ボヤキ:少年法とかに思うこと
川崎中1殺害事件を受け、再び少年法改正への注目が集まっている。
記憶に新しいのは、1999年の光市母子殺害事件。18歳一ヶ月の少年Aによる親子殺害事件です。この事件では「死刑廃止」に議論が集まったが、今回は少年法に集まりがち。
捜査中とはいえ、残虐極まりない内容が見えてきており、こんな事をした人間が保護されるのはおかしい。といった具合。
顔も出なきゃ実名も出ない。しかも少年法によって数年で社会復帰できる。この流れへの不満からか「私刑」が横行している。顔写真を晒し、実名、住所、家族の事までネットにバラまかれている。
不満がたまってるのはオイラも同じで、行動はしないけど心では同じ気持ちって人は多いのではなかろうか?
家族写真のバラまきやりすぎと思うが、本人達の写真は盗撮されたものではなく、自らがネット(世界中)に公開したものであり、これを改めて拡散しているのだがら、卒業アルバムを「コイツが悪い事したんだぜ」と見せるのと変わらないのではないか?という事で悩んだりもしている。まだ答えが出てない。引き続き考えてみようと思う。
このような「私刑」をけしからんと言うマスコミもいて、それは一理あるけどマスコミに言う権利はあるまい。被害者側は散々曝け出して、加害者側がカワイソウというのはおかしい。
「真実を伝えるのが~~」「視聴者が知りたい情報を~~」と言うなら、加害者側の情報を頼む。国民が知りたいのはそっちだ。法律上それが難しいなら、法律の問題をやってくれ。
少年は未熟だから、立ち直れるように守らなきゃいけないと言う人がいる。実名を出せば社会復帰が難しいという話も。
刑期を短くする事が立ち直りに繋がる、実名を出さない事で社会復帰できると言うなら、それは大人だって同じじゃないか?
そもそも少年法は戦後で親や家が無く、仕方なく犯罪を犯す子供を保護し再教育するための法律だった。これが現代に当てはまるだろうか?
ちなみに、GHQ指導の下で作られた法律で、やっぱり日本主導で作られた法律ではない。日本の風土と現状に合わせて日本人が作るべきじゃないかい?
まだ未成熟だから助けなければならないと言うなら、大人と同じ刑期の中で助ければいいのでは? カウンセラー付けるとか特別授業的なのやるとか。
じゃあどこで線を引くかという問題だが、オイラは義務教育で線を引くべきと思う。
高校や大学は「もう働けるけど、もっと勉強したい人が行く所」だから、もう大人扱いでいいんじゃないかな?受験で落ちたり、退学くらったりするんだから、自己責任みたいな領域に入ってると思うんだよな。
決して「いい機会」ではないが、少年法改正を本気で考えるべきとオイラは思う。
仮に、既に改正されていたら今回の事件は起こらなかったかと言えば疑問だが、少なくとも、凶悪事件を起こした、どこかの誰かさんが数年後に近所に戻るかも・・・という恐怖は防げたはずだ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント